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長崎地方裁判所 昭和30年(ヨ)87号 判決

(八七号事件)

申請人 椿山春四 外七名

被申請人 万生丸合資会社

(九四号事件)

申請人 原三八郎 外一七名

被申請人 藤中水産株式会社

主文

本案判決の確定に至るまで、被申請人万生丸合資会社は、申請人椿山春四、同中間真一、同森尾武夫、同岩竹留夫、同森居稔、同小野信行、同森寅次を同被申請人会社の従業員として、

被申請人藤中水産株式会社は、申請人原三八郎、同福田三市、同戎秀太郎、同白髭留蔵、同外磯定一、同浜迫法則、同戎義徳、同本島滋敏、同戎広幸、同荒木茂、同戎千太郎、同新部一夫、同片山政義、同磯谷正、同和田吉朗、同松木留義、同町口敏春を同被申請人会社の従業員として、

取扱わなければならない。

申請人山本一男、同山田国太郎の各申請を却下する。

申請費用は申請人山本一男と被申請人万生丸合資会社との間に生じた分は同申請人の負担とし、申請人山田国太郎と被申請人藤中水産株式会社との間に生じた分は同申請人の負担とし、その余は被申請人等の負担とする。

(注、無保証)

事実

昭和三十年(ヨ)第八七号事件関係について、

第一、一、申請人等代理人は「被申請人会社は申請人等をその従業員として取扱わなければならない」との判決を求めた。

二、申請の理由

(一)  被申請人万生丸合資会社は、遠洋漁業船第十三万生丸(七十五屯)、第十五万生丸(七十四屯)を所有し長崎市を主たる根拠地として以西底曳網漁業を経営する会社であり、申請人椿山春四は昭和二十七年七月十五日より、同中間真一は同年八月十二日より、同森寅次は同年八月一日より、同森尾武夫は同年七月二十日より、同小野信行は昭和二十六年八月一日より、同岩竹留夫は昭和二十九年九月十五日より、同森居稔は同年七月十五日より、同山本一男は昭和三十年五月二十九日より夫々被申請人会社に期間の定めなく雇傭せられ、漁撈作業に従事していたものである。

(二)  昭和三十年六月十九日申請人等が長期に亘る漁撈を終えて根拠地長崎港に帰港するや、被申請人会社は同月二十三日夫々申請人等を解雇する旨の意思表示をした。然しながら右解雇の意思表示は申請人等の大部分(但し申請人中森居稔、山本一男、岩竹留夫三名を除く)が中国よりの帰還船員であること及び申請人等全員が長崎漁民労働組合の組合員であることを理由とするものである。従つてこのような解雇は明らかに労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為として無効であり又昭和二十九年六月二十九日中国帰還船員の待遇について被申請人会社と申請人等の属する長崎漁民労働組合外三名との間に取決められた一般船員と帰還船員との差別待遇をしない旨の協定に違反するという点においても無効である。

仮りに叙上の主張が認められないとしても、本件解雇の意思表示は何ら正当の事由がないに拘らずなされたものであつて、解雇権の濫用であり、この意味において当然無効たるを免れない。

(三)  従つて申請人等はいづれも現在なお被申請人会社の従業員たる地位を有しているものというべく、申請人等は被申請人会社を相手として解雇無効確認の本案訴訟を準備中ではあるが、この判決を待つにおいては償うことのできない損害を蒙るおそれがあるので本件申請に及んだと述べた。

三、被申請人会社の答弁に対する反論、

被申請人会社より昭和三十年六月二十三日申請人等全員に対して雇傭契約の期間満了により雇入れ打切り(雇傭契約終了)の通告がなされた事実(但し申請人等はこれは解雇の意思表示と主張する)は認めるが、被申請人会社主張のように昭和三十年六月二十三日を以つて被申請人会社と申請人等全員との雇傭契約が期間の満了によつて終了したという点については争う。即ち右雇傭契約は期間の定めのないものであつて、切揚げから次期漁期までは漁撈作業に従事しないだけでなおその間も依然として雇傭契約は継続しているのである。従つていわゆる休漁期においても当然の如く船の修繕、整備等の雜用に従事し、これら雜用に従事した場合には食糧費は船主の負担とし且つ日当として金二百五十円の支給を受けていた次第であると述べた。

第二、一、被申請人代理人は「本件申請を却下する」との判決を求めた。

二、被申請人会社の答弁並びに主張

(一)  被申請人会社が申請人等主張のように第十三万生丸(七十五屯)第十五万生丸(七十四屯)を所有し、従来底曳網漁業を経営し申請人山本一男を昭和三十年五月二十九日より、その余の申請人等を昭和二十九年九月中旬頃より昭和三十年六月十九日まで雇傭していたこと、右期間中申請人等が以西底曳網漁業に従事していたこと及びその主張の日時申請人等が長崎港に帰港したことはいづれもこれを認めるがその余の事実はすべて否認する。

(二)  即ち、被申請人会社は申請人等を昭和二十九年九月中旬頃(申請人山本一男については昭和三十年五月二十九日)雇傭期間を一漁期の切揚げまでと定めて雇入れたものである。

そして一漁期とは底曳網漁業の性質上毎年八、九月頃のいわゆる乗出の時から翌年六月末頃のいわゆる切揚の時までを指し、切揚げの具体的な日時は経営の都合により被申請人会社において取決めることとなるが、通常六月末を基準とし、航海、帰港の関係で六月中旬から七月初旬頃までの間となる。かようにして被申請人会社は毎年この期間を定めて漁民との間に雇傭契約を取結んでいる次第であつて本件申請人等もこの例にもれるものではないから、従つて申請人等との雇傭契約は期間満了又はいわゆる切揚と同時に終了に至ることは当然である。これは被申請人会社のみでなく、他の同業者も同様であり、このことは長崎県下におけるこの種業界の永年の慣習となつている。

(三)  しかして被申請人会社は予め昭和三十年四月十日頃、申請人等に対し当時第十三万生丸、第十五万生丸の漁撈長をしていた申請外多田弥蔵を通じて後三航海を以つて切揚げとなる旨を予告し、其の後申請人等は昭和三十年六月十九日最後の航海を終えて長崎港に帰港したので、この時をもつて切揚げとし、その旨申請人等に通告した。よつてこの時に申請人等との雇傭契約は当然に終了し、従つて同月二十三日右船舶の船長において申請人等を含む全船員二十二名につき船員法に基く雇止の公認手続を了したわけである。以上の次第で被申請人会社と申請人等との間には既に雇傭契約関係は存しないのであるから、従つて被申請人会社は申請人等が長崎漁民労働組合の組合員であること、或は中国帰還船員であることを理由にこれを他の従業員と差別待遇しよう道理がないし、又差別待遇をした事実もない。

(四)  なお、底曳網漁業は漁撈長を中心とし二隻の船で操業をするのであるが、漁撈長の指揮監督の下に全船員が一致団結して漁撈に当らなければ漁獲成績を挙げ得ない関係上、漁撈長はその職責を果すため自己の腹心ともいうべき者数名或いはそれ以上を引卒して乗組むのを通例とする。従つて漁撈長が交替した場合には、従前の乗組員全員を一括して同一船に乗込ませることを条件とする再雇傭は到底実現が不可能となるから、そこで船員の雇入れに当つては慣例上漁撈長の推薦制が採用され経営者は被推薦者との間に雇傭契約を取結んでいるのが実状である。本件においては被申請人会社と前記多田漁撈長との間に切揚後、再雇傭契約が締結されず、新たに漁撈長として申請外芦原貞次郎が採用されたのであるが、申請人森尾武夫を除くその余の申請人等を含む十三名に対しては右新漁撈長の推薦がなかつたので再雇傭に至らず、右森尾武夫は右芦原新漁撈長が乗船をすすめたに拘らず、他の申請人等と行動を共にし一括乗船を主張してこれに応じなかつたものである。

と述べた。

昭和三十年(ヨ)第九四号事件関係について、

第一、一、申請人等代理人は「被申請人は申請人等を従業員として取扱わなければならない」との判決を求めた。

二、申請の理由

(一)  被申請人藤中水産株式会社は遠洋漁業船十隻を所有し、従業員百十一名を雇入れて長崎市を主たる根拠地に以西底曳網漁業を経営する会社であり、申請人戎千太郎は昭和二十八年六月五日より、同外磯定一は同年九月七日より同町口敏春は同年六月十六日より、同福田三市は同年七月十六日より、同浜迫法則は同年六月二十四日より同白髭留蔵は同年七月十七日より、同片山政義は同年六月十九日より、同戎広幸は昭和二十五年九月一日より、同和田吉朗は昭和二十四年三月三十一日より、同新部一男は昭和二十六年十月二十六日より、同原三八郎は同年十二月二十八日より、同荒木茂は同年六月二十二日より、同本島滋敏は同年十月三十日より、同松木留義は昭和二十七年十一月一日より、同山田国太郎は昭和三十年六月十三日より、同磯谷正は同年三月五日より、同戎秀太郎は昭和二十二年十月二十八日より、同戎義徳は同年二月一日より夫々被申請人会社に期間の定めなく雇傭せられ、従来被申請人会社所有の第十四大黒丸(六七、八七屯)第十五大黒丸(六六、三九屯)に乗船し、以西底曳網漁業に従事していたものである。

(二)  被申請人会社は昭和三十年七月四日申請人等に対し夫々申請人等を解雇する旨の意思表示をした。然しながら右解雇の意思表示は申請人等の大部分(但し申請人戎義徳、同磯谷正を除く)が中国帰還船員であり、しかも申請人等全員が被申請人会社に雇傭せられた以後現在まで長崎漁民労働組合の組合員であることを理由としたものに外ならない。従つてこのような解雇は明らかに労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為として無効であり又昭和二十九年十二月二十八日中国帰還船員の待遇について被申請人会社と申請人等の属する長崎漁民労働組合外二名間に締結された、一般船員と帰還船員との差別待遇をしない旨の協定にも違反しているので此の点においても無効である。

然も本件解雇は申請人等の大部分が中国帰還船員であることの故になされたものであつて解雇権の濫用であり、この意味においても当然無効たるを免れない。

(三)  従つて申請人等はいづれも被申請人会社の従業員たる地位を有しているのであつて被申請人会社を相手として解雇無効確認の本案訴訟を提起すべく準備中ではあるがこの判決を待つにおいては償うことのできない損害を蒙るおそれがあるので本件申請に及んだと述べた。

三、被申請人会社の答弁に対する反論、

被申請人会社より昭和三十年七月四日申請人等に対し雇傭契約の期間満了により雇入れ打切りの通告があつた事実(但し申請人等はこれを解雇の意思表示と主張する)は認めるが、同日を以つて雇傭契約関係が終了したとの点については争うと述べた外雇傭契約の内容について述べたところは前記昭和三十年(ヨ)第八七号事件について主張するところと同一であるからここに引用する。

第二、一、被申請人代理人は「本件申請を却下する」との判決を求めた。

二、被申請人の答弁並びに主張、

(一)  本件第十四大黒丸、第十五大黒丸が申請人等主張のような屯数であること、申請人等中戎義徳、磯谷正以外の者が中国帰還船員であること、申請人等がいづれもその主張の時期より長崎漁民労働組合の組合員であること、中国帰還船員について昭和二十九年十二月二十八日附協定書により申請人等主張の如き協定がなされたこと、申請人等に対し昭和三十年七月四日雇傭契約が終了した旨を通告したことは、いづれもこれを認めるが、その余の事実はすべて否認する。

(二)  雇傭契約の期間の定めの有無並びに船員雇入れに際して長崎県下における以西底曳網漁業界の特殊性について主張するところは昭和三十年(ヨ)第八七号事件について述べるところと同一であるからここに引用する。

しかして申請人戎義徳との間に昭和三十年二月一日頃、同磯谷正との間に同年三月五日頃、その他の申請人等との間に同年一月下旬頃夫々雇傭契約を取結び、各その際雇傭期間を同年六月三十日までと約束したが、偶々この期間満了の際には申請人等は航海中であり同年七月三日長崎港に帰港したので、船員法第四十四条の規定によりその時をもつて申請人等と被申請人との間の雇傭契約は終了した。それで被申請人会社は翌四日申請人等に対し雇傭契約は期間満了により終了せる旨通告したのである。尤も被申請人会社とその従業員との雇傭関係は申請人等を含む二十三名のみにつき終了したものではなく申請人等を含む全従業員百十一名につき、帰港の前後により多少のずれはあるが、いづれも雇傭期間の満了によつて終了したものである。従つて被申請人会社は申請人等が長崎漁民労働組合の組合員であること、或いは申請人等が中国帰還船員であることを理由に申請人等を他の従業員と差別待遇する意思はないし、又差別待遇した事実もない。

(二) なお申請人等を再雇傭しなかつたのは申請人等との間に雇傭条件が合致しなかつたからである。即ち底曳網漁業界ではその特殊事情に基き船員の雇入れに際しては、前述の如く漁撈長の推薦制が採られているのであるが、第十四、第十五大黒丸の漁撈長であつた申請人戎秀太郎は底曳網漁業の漁撈長としては既に年令的に限界点に達しており且つ従来の漁獲成績が悪かつた関係上、再雇傭とならず漁撈長の交替をみることとなつた。ところが他の申請人等は右戎秀太郎を中心に従来通り第十四、第十五大黒丸に全員一括乗船を要求し、被申請人としては前述の如く以西底曳網漁業の特質上漁撈長が交替した場合には他の一般船員の全部をその儘一括乗船せしめることは不可能であるので、他の船に分散乗船するよう条件を呈示したにかかわらず、申請人等は強いて全員同一船に一括乗船を固持して譲らないので遂に再雇傭できなかつた次第である。

と述べた。

証拠関係〈省略〉

理由

昭和三十年(ヨ)第八七号事件関係について、

第一、一、被申請人万生丸合資会社が長崎市を主たる根拠地として以西底曳網漁業を経営する会社であり、第十三、第十五万生丸を所有していること、申請人等が被申請人会社に雇傭され、従来右第十三、第十五万生丸に乗船して以西底曳網漁業に従事していたこと、昭和三十年六月十九日申請人等が漁業を終えて根拠地長崎港に帰港するや、同月二十三日被申請人会社より申請人等に対して期間満了による雇傭契約終了即ち雇止めの通知(尤も右通知が期間満了による雇傭契約終了の通知であるのか、解雇の意思表示であるのかについて争いのあること前述の如くである)がなされたことは当事者間に争いがない。

二、申請人等代理人は、申請人と被申請人会社との間の雇傭契約は、期間の定めのないものであつて、休漁期間中と雖も依然として契約関係は継続していると主張し、被申請人代理人は雇傭契約の期間は長崎における底曳網漁業界の慣習として一漁期と定められ申請人と被申請人会社との間においてもその例外ではないと主張する。

そこで按ずるに疏乙第六号証の八及び証人津田又吉の証言、申請人本島滋敏、同戎千太郎、同椿山春四、被申請人藤中水産株式会社代表者藤中八郎の各本人尋問の結果を綜合すれば長崎における以西底曳網漁業を営む会社に雇傭されて漁撈に従事する船員の中には先ず「飛乗」と「常乗」との二種類の船員があり前者は従来の乗組員が病気その他の事由に因つて下船し、臨時に欠員が生じた場合、特に当事者が短期の乗船期間を定めて臨時的に雇傭契約を取結ぶいわば臨時乗組員とでも称する船員であり、後者はそれ以外の船員を指称し、申請人山本一男を除くその他の申請人等はいづれも「常乗」の船員であり、右山本一男は申請外永田某という船員の替りに雇傭期間を特に一航海と限つて雇傭された「飛乗」の船員である事実が各疏明され、これに反する申請人椿山四春四本人尋問の結果の一部は措信できず、他に右疎明を左右するに足りる資料はない。しかして更に前記各疏明資料に証人梶山音治、同佐藤彦治郎、同橋本政義、同進藤毅、同大村長治の各証言及び成立に争いのない疏乙第一、第二号証の各一、二同第五号証の一、三、四、同第六号証の一、三乃至八を併せ考えれば、船員各自の所持する船員手帳には雇入期間につき一漁期又は切揚げまで或は翌年六月までと記載されている事実、行政官庁に対する雇入、雇止の公認手疏も右期間に従つてなされている事実、これらの記入された事項について従来船員側より何等の苦情もなかつた事実、申請人等についても夫々の船員手帳には雇入期間は切揚までとの記入があつてこの点申請人等から異議がなかつた事実及び船員の中には自ら希望して転船した者その他身体の欠陥等個人的な事由によつて漁撈に従事することを希望しない者等については雇止の手続がとられただけで雇傭契約の消滅については当事者間に別段の意思表示がなされず、右雇止によつて雇傭契約も当然終了したものと考えられている事実等が各疏明される。ところで船員法上の雇入契約は元来民法上の雇傭契約とは同一の観念ではなくて継続した雇傭契約の存続期間中特に一定期間を限つて乗船労務に服することを内容とする乗船契約に外ならず、然るが故に航海の安全等の見地から行政官庁の後見的監督に服せしめることを必要とすると解せられるのであるが、それは船員の予備員制度を採用している大企業の場合にはそのまま妥当するとしても本件における如く予備員制度を採用していない中、小企業の場合においては、必ずしも右と同一には論し得ず、却つて前記疏明事実に徴すれば船員法のいわゆる乗船契約と民法上の雇傭契約とは併合し一本化しているものと認めるを相当とする。従つて申請人等の雇傭契約は乗船契約と同じく漁期の終了或いは切揚までの期間の定めのあるものと解せざるを得ない。然しながら就業規則(疏甲第六号証)第十七条の規定の趣旨(漁船乗組員の休暇は一漁期間を単位として乗船するを原則とするから、別段定期的に与えず、休漁期より次期漁期までの間に任意これをとるものとし、任意休暇中は無給とする旨)と前記各証人の証言及び各申請人、被申請人藤中水産株式会社代表者藤中八郎の各本人尋問の結果に証人津田又吉の証言によつて成立を認め得る疏甲第一号証及び弁論の全趣旨を綜合すれば、長崎における以西底曳網漁業界の慣習としては自ら希望して退職する者、身体的欠陥のため漁撈に従事する事ができない者等の例外の場合を除いては右契約期間満了により一且船員法上の雇止めの公認手続がとられるに拘らずその後次期漁期までの休漁期には会社、船員ともその后新なる契約の締結について別段の意思表示をなすまでもなく船員は当然の如く船の修繕、整備等の作業に従事し、会社はこれ等作業に従事する者の食費を負担し且つ日給として金二百五拾円を支給し、次期漁期に至れど前途の如き方法で雇入れの公認手続がなされた上、船員達は前同様の労働条件で当然のように乗船して漁撈に従事し、会社側も別段の事由がなければこれが乗船を拒むことはないという事実、申請人椿山春四は昭和二十七年七月十五日、同中間真一は同年八月十二日、同森寅次は同年八月一日、同森尾武夫は同年七月二十日、同小野信行は同二十六年八月一日、同岩竹留夫は同二十九年九月十五日、同森居稔は同年七月十五日、夫々被申請人会社との間に最初雇傭契約を結んだ後昭和三十年六月二十三日まで本件におけるが如く切揚によつて雇漁契約が終了した旨の通知に接したことなく且つ一漁期毎に船員手帳には雇入、雇止めの記入がなされていたに拘らず、被申請人会社との間に改めて契約を締結することもなく、当然の如く前漁期と同一の条件で漁撈に従事し、休漁期には船の整備、修繕等の雜務に従事して日給金二百五十円を支給されていた事実が各疏明されるのであつて、これに反する証人橋本政義、同進藤毅の各証言は措信できない。しかして叙上の事実関係から考えれば申請人等(但し山本一男を除く)が被申請人会社に最初漁船乗組員として雇傭せられた際、当事者の間には雇傭契約は期間の満了とともに終局的に終了せず、当然更新される旨の暗黙の合意が成立していたものと認めるのが相当である。そうだとすると申請人山本一男を除くその余の申請人等は前記疏明の時より夫々被申請人会社に雇傭され切揚毎に雇傭契約が更新されてきたもので唯漁期の期間中と休漁期間中に提供される各労務の内容の相異によつて供与条件を異にするだけで休漁中と雖も依然雇傭関係そのものは更新により存続して来たものといわなければならない。

三、果してそうだとすれば昭和三十年六月二十三日被申請人会社が申請人等に対してなした通知の性質がその主張の如く単純に期間満了による雇傭契約終了の通知にすぎないものとするならば、それは法律上何らの意味がなく、従つて被申請人会社は申請人等(但し山本一男を除く)を依然その従業員として待遇すべきことは当然のことというべく、又右通知がいわゆる更新拒絶の意思表示に該当するとしても当裁判所は以下の理由によつてその効力を生じないものと認める。

即ち本件における如き労働契約の更新拒絶については、借家法或は農地法の如く正当の事由を必要とするという明文上の根拠はないけれども、右にいう更新拒絶の意思表示は継続的な雇傭契約を将来に向つて消滅させるもので実質的には解雇の意思表示と同一の効果をもつものと認められるところ、船員法第四十条の規定によれば、雇入契約の解除については船員が(一)著しく職務に不適任であること(二)著しく職務に怠慢であつたとき又は職務に関し重大な過失のあつたとき(三)著しく船内の秩序を乱す行為のあつたとき(四)身体的欠陥のため職務に堪えないとき(五)その他止むを得ない事由があるときのいずれかに該当する事由の存在することを要する旨定めているのであるから、更新拒絶についても矢張り以上と同様の正当事由を要するものと解するのが相当である。然るに本件においては全疏明資料によるもかような事由の存することの疏明があつたとは認め難い。尤も被申請人会社は漁撈長の交替があつたこと及び新漁撈長の推薦がなかつたことの理由により申請人等を雇傭できない旨主張しているけれども、底曳網漁業の特殊性もさることながら、若し左様な議論をそのままに承認するとするならば、使用者が漁撈長をして推薦せしめないことの方法を以て、何時にても自己の好まざる船員(例えば組合に加入し或は組合運動に熱心であつた)を排除することができる結果を招来する慮なしとしないから、他に特段の事由がない以上、単に漁撈長の推薦がないというだけの理由を以ては直に更新拒絶の正当性を肯認することは妥当ではない。然も亦漁撈長の推薦がないから雇傭しないということは、雇傭契約が期間満了によつて終了することを前提とし、新に船員を雇傭する場合に妥当することであり、本件においては雇傭契約は、更新によつて継続している筋合であるから、漁撈長の推薦がないから雇わないという論理はなく、推薦の有無に拘らず、雇傭契約そのものは依然存続しているものというべきである。果してそうだとすれば申請人山本一男を除くその余の申請人等は、爾余の判断を俟たず、既にこの点においてなお被申請人会社の従業員たる地位を有しているものといわなければならない。

四、申請人山本一男について考えてみるのに、同申請人が他の申請人等と異つて飛乗の船員であることは前記認定のとおりであり、「飛乗」の船員については「常乗」の船員について前述した如く雇傭契約を更新させるという当事者の合意乃至は慣習が存在していることを認めることはできないから、同申請人については爾余の判断を俟たず既に昭和三十年六月二十三日被申請人会社との雇傭契約は終了したものといわなければならない。

五、本件仮処分の必要性の有無

前述の如く申請人等(但し申請人山本一男を除く)は依然被申請人会社の従業員たる地位を有しているに拘らず、従業員としての取扱ひをうけないことは労働者たる申請人等にとつて物心両面における著しい損害であることは多言を要しないところであるから、特段の事情のない限り申請人等の従業員たる地位を保全する仮処分の充分なる必要性があるといわなければならない。

昭和三十年(ヨ)第九四号事件関係について、

第二、一、被申請人藤中水産株式会社が長崎市を主たる根拠地として以西底曳網漁業を経営する会社であり、その所有する第十四、第十五大黒丸が夫々六七、八七屯六六、三九屯であること、申請人戎義徳、同磯谷正を除く他の申請人等は中国帰還船員であること、申請人等が被申請人会社に雇傭された時より長崎漁民労働組合の組合員であること、中国帰還船員の待遇について昭和二十九年十二月二十八日申請人等主張の如き協定がなされたこと、被申請人会社より申請人等に対して昭和三十年七月四日期間満了により雇傭契約が終了即ち雇止の通告(但し右通知が契約終了の通知か、解雇の意思表示であるかにつき争のあること前記のとおりである。)をしたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、しかして被申請人会社と申請人等間の雇傭契約は期間の定めがあること、但し「常乗」の船員についての雇傭契約は期間の満了と同時に更新されること等については昭和三十年(ヨ)第八七号事件関係について述べたところと同一であるからここに右判断を引用する。次に証人津田又吉の証言によつて成立を認め得る疏甲第五号証に右証言及び申請人本島滋敏、同戎千太郎、被申請人代表者藤中八郎各本人尋問の結果を綜合すれば申請人山田国太郎を除くその余の申請人等はいづれもいわゆる「常乗」船員であり申請人山田国太郎は「飛乗」船員である事実、申請人戎秀太郎は昭和二十二年十月二十八日より申請人和田吉朗は同二十四年三月三十一日より同戎広幸は同二十五年九月一日より同新部一男は同二十六年十月二十六日より同原三八郎は同年十二月二十八日より、同荒木茂は同年六月二十二日より、同本島滋敏は同年十月三十日より同松木留義は同二十七年十一月一日より同戎千太郎は同二十八年六月五日より同外磯定一は同年九月七日より同町口敏春は同年六月十六日より同福田三市は同年七月十七日より、同浜迫法則は同年六月二十四日より同白髭留蔵は同年七月十七日より同片山政義は同年六月十九日より同戎義徳は同三十年二月一日より、同磯谷正は同年三月五日夫々被申請人会社に雇傭せられて以降切揚毎に雇傭契約が更新されて現在に至つた事実が各疏明される。

三、果してそうだとすれば被申請人会社が申請人等に対して昭和三十年七月四日なした通知がその主張の如く単に期間満了による契約終了の通知に過ぎないとすれば、そのことは法律上何らの意味なく、又これを契約の更新拒絶の意思表示とみるとしても、これについては昭和三十年(ヨ)第八七号事件について述べたところと同一の理由により正当事由を要するものと解すべきところ、本件においてはかような正当性の認め難いことは次に述べるとおりである。即ち、

イ、申請人戎秀太郎について被申請人会社は、同申請人が年齢的に底曳網漁業の漁撈長として限界点に達しており且つ従来漁獲成績が芳しくなかつた旨主張するけれども、これに添う証人佐藤彦治郎の証言及び被申請人会社代表者藤中八郎本人尋問の結果は容易に措信し難く、他に他に同申請人について右主張の如き事由の存することその他船員法の定める正当事由の存することを肯認せしめるに足りる疏明がないから、同申請人は依然被申請人会社の従業員たる地位を有するものと認むべく、従つて被申請人会社がその余の申請人等(但し申請人山田国太郎を除く)につき漁撈長の交替を理由としてこれを雇わないということは論理に合はず、その他申請人等に前記(一)乃至(五)掲記の更新拒絶を理由あらしめる事由の存在を認むべき疏明はない。従つて申請人等(但し申請人山田国太郎を除く)は爾余の判断を俟たず依然として被申請人会社の従業員たる地位を有しているものといわなければならない。(被申請人会社は期間満了により当然雇傭契約が終了することを前提としているけれども、該契約は更新によつて継続していると認むべきこと、第八七号事件について述べたとおりであるから、右立場は根本的に是認することができない。)

ロ、申請人山田国太郎について考えてみると同申請人は他の申請人等と異つて飛乗の船員であること前記疏明のとおりであつて、昭和三十年(ヨ)第八七号事件の申請人山本一男について述べたと同一の理由により、昭和三十年七月四日限り被申請人会社の従業員たる地位を失なつたものといわなければならない。

四、仮処分の必要性については、昭和三十年(ヨ)第八七号事件について述べたところを引用する。

第三、以上述べた理由により昭和三十年(ヨ)第八七号事件関係については申請人山本一男を除くその余の申請人等の昭和三十年(ヨ)第九四号事件関係については申請人山田国太郎を除くその余の申請人等の各申請はいずれも理由があるからこれも認容すべきも、申請人山本一男同山田国太郎の申請については理由がないから却下を免れず、申請費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 林善助 入江啓七郎 重富純和)

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